柱野 (岩徳線)
- 2018/06/27
- 20:22
【柱野】
(岩徳線)
< 変遷 > 1934/12/1 山陽本線の駅として開業 1944/10/11 山陽本線から分離され岩徳線の駅となる 1961/6/6 貨物取扱い廃止 1982/3/10 列車集中制御装置 (CTC) が導入、荷物取扱い廃止 1982~1983頃? 地平部駅舎解体 1983/2/25 階段下上屋(財) 1987/4/1 西日本旅客鉄道(JR西日本)に移行 |
2018/6/18

かつての駅舎跡。当駅の駅舎は地平と築堤上の2ヶ所に分かれていた。地平部は無人化されて間もなく解体されてしまったようだ。

地平部には周防久保や周防花岡と同じ形の床が一部残っている。中央の水たまりの辺りが出札口で、その奥が待合室。

駅舎跡の隣りには、石や石のアーチが転がっている。駅舎前にあった池が駅舎解体時に壊され無造作に捨て置かれたか、などと想像する。

現在の駅出入口。階段手前の上屋は駅舎解体後に建てられたもの。

階段を昇ると、築堤上の駅舎に入る。地平部の床にラッチ跡が見えなかったので、有人駅時代も改札口はここにあったのではないかと推測する。

地平部の駅舎に掲げられていた駅名板。せっかく保存しているのに床置きは残念。

改札口の目の前には線路と構内踏切がある。
この構造を踏まえても、有人駅時代の改札口について、地平部ではなくこの踏切前に置き安全のため駅員を配置していたという推測が強まる。

駅名標と、築堤上駅舎のホーム側。

上り線のりばから周防高森方面。ホームは島式で1面2線。構内踏切の立地が危険なため、こちら側の線路は真っ先に廃止され1面1線化しそうなところだ。

下り線のりばから岩国方面。1.0km先に錦川清流線(岩日線)と分岐する森ヶ原信号場がある。

ホーム待合室。上り線側は元は壁があったものを取り払ったように見える。

同待合室から岩国方に基礎が続いている。かつては現在の倍くらいの長さがある建物だった。

岩徳線は一時期山陽本線を名乗っていて優等列車も走行していた。そのためか、当駅のホームの全長はおよそ260mととても長い。
しかし現在、上下両端は通行禁止となっていて、機能しているのは中央の100mほど。

虚しいほどに長いホームが遥か先まで続く。

こちらは貨物ホーム跡と思しき場所。杭が打たれている辺りの地面の隆起がそのように見える。
地平部駅舎の脇から昇ってきた道がこの地点に繋がっているのも根拠の一つ。


構内踏切には遮断機が設置されている。




隣りの駅
欽明路 (岩徳線・下り)
川西 (岩徳線・上り)
(∪^ω^) 今日もご覧いただきありがとうございます!

- テーマ:駅めぐり
- ジャンル:旅行
- カテゴリ:山口 [170]
- CM:0
- TB:0